V-storm50の時々日記 夕張のまち


アイヌ語で「ユーパロ」=鉱泉の湧き出るところから「夕張」となったまち。最も古い記録では明治24年に人口307人(69世帯)夕張炭鉱が最も活気のあった昭和35年は人口116,908人(世帯数25,156)しかし、石炭から石油へとエネルギー需要が変化し、その急激な経済変化に対応しきれず、更に北海道拓殖銀行の破たんなど道内を吹き荒れた不況も追い打ちをかけ地方自治体として赤字団体となって現在、財政再生団体となってしまったまち。

先週、プライベートでこのまちを訪れて見ました。夕張と言えば健さんの主演した「幸福の黄色いハンカチ」や夕張メロンが有名ですが財政破たん後のまちの衰退や人口減少は目を覆わんばかりでかって、11万6千余の人口は現在1万人を切り9,362人(世帯数5,400)面積当たりの人口密度は12.3人/km2となり、どれくらい少ないかは520人/km2が見附市なので過疎化が半端でないことが分かり易いと思います。コンビニをはじめ商店らしいのは中々見当たりません。駅周辺に軽食喫茶、ラーメン屋、夕張メロン直売所、ホテル2軒(ホテルの裏にスキー場あり)などがあり、通りにはほとんど人が見られません。駅前の通りを行き過ぎる車もマバラの状態です。そう言えば富良野から夕張に向かい車を走らせていても前後や対向車にもほとんど合わず、夕張から小樽へ向かう時も車に合わず何だか不安になりました。


天井から壁まで黄色い紙のメッセージに埋め尽くされた撮影場所、赤い車は武田鉄矢が乗っていた当時のマツダファミリアです。私もメッセージを書いて貼り付けてきました。


誰も住んでいない廃屋の外壁のキリストは永遠の望みを与えると言う言葉が虚しく感じました。


かっての炭坑口も見学してきましたが寂しい!昔、賑わいを見せた歓楽街もご覧のとおりです。野良猫も寂しそうです。大企業誘致。雇用拡大のスローガンも虚しい…。







市の職員も半減され行政サービスに支障をきたし毎年道庁から職員が派遣されるようです。


まちが賑わいを失い、子供たちや若者がいなくなり、笑顔のないお年よりたちなどなど、考えさせられました。昼食を食べた軽食・喫茶のおばさんに「どこから来られました?」と聞かれ「新潟からです」と答えたら親切にサービスして戴きました。また、裏通りでは江畑さんという80代のおじいさんがかって賑わいを見せていたまちの様子を懐かしそうに話してくれました。この夕張市34歳の鈴木直道市長が頑張って居られます。
日本全国が人口減少、高齢化率、空き家の増大、税収の減少、消費の低迷など大きな課題を抱えています。心しなくてはと思います。