空海

実は、事情で4週間ほど入院致しました。外科的入院のため、この機会にと司馬遼太郎
空海の風景」上・下巻にチャレンジ致しました。読み始めてすぐ、果たして読み切れるのか
との不安が過ぎりました。これは小説ではない!・・・。司馬氏の作品は「竜馬がゆく」を
はじめかなり読みましたが氏は「坂の上の雲」あたりから小説の世界から歴史文献に登場人物
の幾分の考え方や行動更には「セリフ」などを挿入しながらもあきらかに小説とは異質の世界を
描き続けてきました。NHKで3年掛かりのドラマとして制作された「坂の上の雲」などもその
内容のほとんどが明治陸軍と海軍の当時の資料を文献として、多少小説風に主要な登場人物の
四国は松山出身の秋山好古、真之兄弟と正岡子規に語らせているが大作の半分以上は日露戦争
の軍事的な事実の積み重ねに費やす部分が多く、そのあたりに興味のない読者にとって読破する
ことはかなりつらい作品だったと思う。

空海の風景」も「坂の上の雲」より時代が古いので(平安時代)ほとんど小説の体をなして
なく氏の文章を借りると「伝説でこのように言ったと言われているが俄かには信じ難い」とか
「おそらく空海はこのように言ったと思われる」「私がこの小説の題名を空海の風景としたのは
空海の実像が掴み辛くせめて空海が見たであろう風景や空気を表現したかったのだ」とかなど
読者を困惑させてしまう文章が多く、作者さえもその実像に迫れず、読者などは更に迷いながら
空海を想像するしかなかった。
空海の像


四国の讃岐(現香川県善通寺市)に生まれ室戸岬の洞穴の中で終日修行していた位置に青年空海
目線で見るとまさに空と海しか見えない風景であった。のちに弘法大師と呼ばれ「弘法筆を選ばず」
とか「弘法も筆の誤り」とか当時の能書家であったことを表すことわざがあるが当時の3大能書家
嵯峨天皇、橘 逸勢)であったことは事実でその書も現存しているが文字の大きさ、文章など時と 
場合により兎毛、狸毛、馬毛などを使い分け、嵯峨天皇にも自作の筆を贈りアドバイスしている。
最もその時代漢字の読み書き出来る知識人はそう多くはなく、知らぬ日本人も多くいたようだが・・・。
空海の書

平安時代奈良仏教から平安仏教へと変化させ真言密教を日本に広め高野山を開山し、サンスクリット
語を理解し、中国の国王、高僧や知識階級の人々を感動させる漢文、漢詩をたしなむ空海は司馬氏
の言葉を借りれば日本人の初めての天才であった。遣唐使として醍醐天皇の国書をもち国使として
空海と共に大陸に渡った最澄が帰国後天台宗を叡山を拠点として広めたのに対し私費で学僧として
大陸から真言密教を持ち帰った空海はその後、対立し、このことから世界に類を見ない多宗教を
是とした日本が誕生したのではと氏は推察している。更に空海の天才たらんとすることは詩や美術、
芸術は勿論、医学、治水土木、建築などその多彩な才能を生かし日本文化や技術の向上へと貢献した。
今は「空海」に触発され五木寛之著「親鸞」を読み始めています。