V-storm50の時々日記 行政視察番外編


二百三高地旅順港を攻略した旧日本陸軍の二十八サンチ榴弾砲のレプリカ(3分の2のサイズで木製)
5月の行政視察で訪れた愛媛県松山市司馬遼太郎著「坂の上の雲」の舞台となった町、皆様よく御存じの3人の主人公
秋山好古、真之兄弟と真之の幼馴染の正岡子規が生まれ育ったところです。松山市内のビジネスホテルから歩いて2〜3
分のところに「坂の上の雲ミュージアム」があり、朝早くここを訪ねて見ました。日本を代表する建築家安藤忠雄氏が設計
した坂道の回廊を回りながら展示物を見ると言うユニークな建物でした。司馬さんの直筆の原稿や赤貧の中で近代国家への
取り組みと国際社会への仲間入りをけなげにも目指した明治国家を様々な資料で展示しています。


司馬遼太郎著 氏のライフワークとなった大河小説「坂の上の雲」の第1巻書き出しの部分の直筆原稿用紙(感動ものでした)
壁面いっぱいに展示されている産経新聞連載当時の坂の上の雲の小説の切り抜き部分(風間完の挿絵が小説の雰囲気を表現しています)

司馬さんの小説の大半を読んだファンにとってたまらないほど魅力的な空間でもあります。語りつけせぬ思い出を瞼に焼き付け
て来ました。出口には秋山好古の着ていたような軍服姿のおじさんがいて東日本大震災義捐金集めで記念写真を撮影して
戴けると言うので募金してから記念写真を撮らせて戴きました。何となく好古に似ていますよね。

また、先日戴いたコメントについて私なりの考えを述べさせて戴きます。以下、疑問点を整理致します。
刈谷田川防災公園(道の駅)の施設建設への考え方
②防災公園と今町の商業施設との相関関係
③推進している人物
④イングリッシュガーデンが失敗しているから同じ轍を踏むのではと言う危惧
⑤公人として市外本社のGSを利用していることへの疑問、問題
以上、5点だと思います。

①確かにおっしゃる通りH16年の7・13水害で刈谷田川が決壊したことから改修整備によりカーブ点をショートカットし、
それによって出来た空き地を利用して今回の防災公園計画が実行に移される訳ですが此度(昨年ですが)国の総合特区事業に
見附市福島県伊達市新潟市三条市など全部で7市、他)などが申請し、認可され国の補助金を受けて進められる事業です。
今までは体と心の健康を健康と定義していましたがもう一歩進め歩いて暮らすことが「健幸」に繋がる事を基本の環境づくりを
積極的に推し進め以前より見附市が取り組んでいるスマートウェルネス構想で健康はもはや個人の問題ではなく社会貢献(健康を
維持しながら長生きをすることで医療費、介護など医療関係の経費を削減出来る。また、生きがいをもち楽しみながら生活する)と
なるとの考えを推進してきた見附市がより明確に日本一健康なまちづくりを目指す具体案として健幸をキーワードに体の健康は
勿論、歩くことを基本に創生する町中賑わい、地元商店街の活性化、自然や環境への配慮など様々な広がりを期待する目的です。
つまり「健幸」は体、心の健康と共に自然との共生、環境への気配り、まちなか賑わいから広がる人と人とのふれあい、地元商店街
の活性化など様々な要素がリンクして生きがいや住みやすさ、市民のふれあいなどを創生してゆく環境づくりと考えています。今回
スマートウェルネスみつけの具体策のひとつとして国が認め予算化された事業で野田首相から直接、久住市長に認定証が渡されました。
この取り組みは第4次総合計画の柱となっていて、更に市民アンケートの見附市に不足している(あるいは充実してほしいこと)
点の上位に挙げられている働く場所の豊富さ、観光資源、公園などの充実などにもリンクするとして進められると認識しています。


②正式名称は「刈谷田川防災公園ですが今後、公募でより市民に親しまれる愛称を募集予定と聞いています。広い敷地内の一角に
道の駅や地元生鮮野菜・果物・物産の直売所、農家レストランなどが建設されますが防災公園としてもヘリポートやいざの場合
一時的避難所や連絡広場等にも配慮されています。具体的には例えばいざ災害発生時には広大な駐車場が車で避難してきた人たち
の駐車スペースとなり、また災害ボランティアの方たちのセンター機能、更に屋内には調理したり飲食できるスペースや野菜や果物や
加工品がそのまま避難者や救援者の人たちの食糧確保に役立ちますし、数多くの公衆トイレも役立ちます。また、大規模災害時には
駐車場やディキャンプ、グランドゴルフの場所に仮設テントの設営も出来ますし、ディキャンプで利用している野外での炊事施設も
そのまま利用できます。
勿論、市内には避難所として市内の小中学校や公民館、体育館、コミュニティセンターなどが使用できるよう非常食や避難生活が
出来る用具などが備蓄されています。新設されるこの防災公園は災害を想定していますがそれはあくまでも万が一の場合であり、
普段はディキャンプ、バーベキュー広場、グランドゴルフ、ピクニックなど多目的に市民が使えるように整備されるとの事です。
更にアンケートで要望の高い働く場所の豊富さ(40名程度の雇用とか)公園の充実、自然と親しむ、地元商店、産業、農業への支援、
まちなか賑わいの創生(みちの駅から今町商店街へ歩きやすい道路の整備なども計画されています)先ほども申し上げたように防災公園
としての設備、機能を兼ね備え、経済効果、つまり税収面や市内、市外は勿論、県内、県外などへアッピール出来る多機能型公園施設と
位置づけられるのではないかと考えます。施設は防災施設・広場・交流休憩施設・農産物販売施設・飲食提供施設・公衆トイレ・駐車場などが整備されます。
そしてこれらの施設がいざ災害の時、役に立つように設計されているようです。また、進捗状況ですが6月議会で施設の基本的レイアウトや
建設設計図が示され、7月中に施設の経営と維持管理を行う指定管理者の公募に入り秋までには業者を決定し、来年秋に完成予定との説明を
受けております。細部については現在、検討中とのことで予定では市民に対するパブリックコメントの募集なども行い広く市民からの希望や
要望も取り入れながらより良い施設としてゆきたいと聞いています。


③勿論、久住市長と市の企画調整課、産業振興課が中心に見附市第4次総合計画に基づき企画し、市議会でも可決された見附市
市民のための大きな期待がもてる施設と認識しています。


④まず逆にお聞きしたいのがイングリッシュガーデンが失敗もしくは無用の公園施設である根拠が分かりません。ご存じのことと
思いますが新潟県中部産業団地内に建設されたイングリッシュガーデンは県と進出企業各社との契約の中で団地内に防災等の避難所
としての機能をも合わせもつ企業の社員なども憩える施設を建設する前提条件つまり約束がありました。

その条件に基づき建設にあたっては県から提供を受けた敷地を使って建設されました。設計のコンセプトの柱はもっとも維持管理費が
かからないことや県内外に余りないユニークで独創的な公園として市民は勿論、市外からも訪れてもらえる公園と聞いており、年を追うごとに
来園者も増え、今年の春の実績で県内(新潟交通など)観光バスが9台県外(主に東京など首都圏)から29台が公園を訪れ、見附市
ニット工場見学とニット製品の買い物と市内料亭での料亭ランチを楽しみ、そしてイングリッシュガーデンでの散策や花苗の購入などが好評で
新たに今年よりオリジナルスイーツの販売とカフェのオープンなど、また、ネーブルみつけへの誘導なども実績を上げているようです。
この観光バスの数は見附市始まって以来と聞いております。私は成功しつつあると思います。


⑤公人としてとの疑問や問題ですが例えば野田首相や閣僚、更に国会議員は日本の会社でないと利用できませんか?そうなるとパソコンの
WindowsMACも使えないし、眼鏡をかけた白ひげのお爺さんが看板のチキンや赤に黄色いMマークのハンバーガーショップは利用できないし、
帝国ホテルは利用できるがホテルハイアットは利用出来ないし、JALは乗れるがパンナムは乗れないことになります。仮に見附市が大きな
公共事業を進めるとき入札等ではより見積予算が少なく、技術面など総合的な判断で業者を決めると思います。その判断の中で市内の業者か
市外の業者かを考慮して選定することは要素として否定は出来ないし、仮に同条件なら市内優先はあると思いますが大きな判断はやはり安価、
技術面などになるのではと私は思います。ご指摘の市外本社のGSでの給油は自宅から近いので利用していると私はシンプルに考えます。
この機会ですから個人的に思っていることを少し述べさせて戴きますが、例えば市の職員が(仮に私のような皆様方市民の方から選ばれた議員
でも)どこで買い物して、どこで遊んだり、食事してもそれはプライベートなことと思います。
〇〇商店街の組合員・商店同士でもお互いの店で買い物をしているかと言えば例えば商店街に電機屋があっても郊外の◎◎電気の方が
安くて品揃えが豊富だったらそこで買うでしょう。そのことでお互い後ろ指をさされることもないでしょう。政治家であるという(市長
であるがゆえ)だけで見附市に本社があるところで買い物することを要求することはむしろおかしいと思います。自論ですが別の言い方
をすれば政治家だけに清廉潔白な聖人君子像を求めないで下さい。みな個人の人格も趣味嗜好ももっており憚られる言葉をあえて言わせて
貰えば皆さんと同じように異性に興味があったり、お酒が好きだったり、何かマニアックな趣味や独特の休日の過ごし方があっても良い
のではないかと思いますし、むしろ、それが人間として当たり前で自然ではないのでしょうか?。こんにちこのような日本の政治家に
なってしまったのは言いたいことも言わせてもらえない、言ったら言葉尻を捉えて徹底的に叩くような風潮にもその一端があるのでは
と自分は密かに感じています。
昔は「英雄色を好む」とかプロ野球でも「酒仙代打男」世界的なスピードレーサーはレース前に必ず女を抱く(目に良いからとの迷信?)
など豪傑がいて政治の世界でも傑物がいたように思います。公人だから、政治家だからと特別視はせず一人の人間として大らかな気持ちと
視点をとお願い致します。

人間って新しい取り組みにはとかく尻込みしたり疑問視したり、否定論や、失敗したときのリスクなどが先行して頭をよぎるように思います。
つい先月にある知り合いの方が「五十嵐さん、市議になった今、とにかく敵を作らないようにするんだいの」と親切にアドバイスして下さった
方が居られます。その通りだと思います。市議に限らず好んで敵を作りたいなど誰も思いません。しかし、私は常々考えています。問題や
決断を求められる、あるいは意見や考え方を求められる場面が必ずあります。そのとき、誰からも反対の出ない答えなどないのです。こちらを
立てればあちらは立たずとなります。それが怖くて曖昧な返事で逃げることは出来ません。そのとき熟慮して決断力を示さなければなりません。
そのことで結果として敵が出来てしまうのは仕方がないことなのです。私は敵を作りたくはありませんが求められる決断はします。
言葉を替えれば「毒にも薬にもならない人間にはなりたくないのです」毒は使い方次第で薬にもなりますし、薬には副作用と言うリスクも
伴っているわけです。

答えになったかどうか分かりませんが質問、疑問に対する私なりの考えです。尚、匿名の質問ですが私なりに誠意をもってお答えしましたが
異論がある部分もあるかと思いますがこのブログでのバトルはしたくないのでご了承下さい。