空海の風景

続きです。
司馬遼太郎氏はあとがきの中で自分の少年期の思い出を披露しています。
当然ですが戦前の時代、氏が13歳の時に叔父に連れられ高野山詣でをしたそうです。と言うのも
氏は幼年期 体が弱く、そのことを心配した叔父が(多分信者だったのでしょう)十三祈願をして
13歳になったら(多分、その頃には山に登れるほど体力がついているから)お参りにくるので
どうか健康に育つようにと弘法大師にお願いしたのでしょう。

約束通り叔父は13歳となった司馬少年を伴い険しい山を登ったそうです。途中ですれ違ったり、
追い越してゆく修験者たちの衣装や唱える呪文が不気味だったと氏は当時の記憶を述べています。
頂上近くの断崖絶壁で修験者たちに全身を縄で縛られ「親や大人の言うことを守りまじめに勉強するか!」
と脅かされながら谷底に逆さづりされ「やります!」と約束させられた時「俺は嘘をついてしまった」
と幾分醒めた感覚だったことを述懐しています。高野山の本堂に空海が死を悟り籠った部屋に続く
洞穴みたいな暗い箇所があり(私は見たことが有りません)空海が現在も修行中であるとして常夜灯が
一時も消えることなく灯されていると聞いた少年だった司馬氏が「そんなの嘘だい!」と言ったら闇の奥から
「嘘ではないぞ!」と地底の底から湧きあがるように木霊ような声が聞こえた恐怖を鮮明に記憶していると
述べています。

恐らくは係りの坊さんが奥に何かの用事で居り返事をしたものと思いますが幼いころの思い出がこの
小説のきっかけになったのでしょう。