V-storm50の時々日記 ただ一撃!


大好きな作家のひとり藤沢周平の作品紹介です。
藤沢周平の「ただ一撃」は昭和48年に「暗殺の年輪」で直木賞を受賞した同年のオール読物に掲載された作品です。
この「ただ一撃」も多くの藤沢作品のように氏のふるさと山形庄内地方 鶴ヶ岡城下を舞台としています。
藤沢作品は大別して歴史小説(実在の人物や事件を題材に史実に基づいて書いたもの)と時代小説(戦国時代や江戸時代を背景にしたフィクション)とに大別されている。この作品は藤沢周平初期の時代小説です。

この「ただ一撃」は戦国の殺気がまだ残っている時代に酒井家(庄内藩)に仕官を求める凄腕の剣客清家猪十郎が殿の午前試合で酒井家自慢の武士を次々に倒すところから始まる。
この自信に溢れ粗野で傲慢な剣客を藩の面目をかけて打ち負かす候補として選ばれたのがすでに隠居していつも居眠りしながら洟水を垂らしてる冴えない老人刈谷範兵衛が抜擢される。ここから物語は俄然面白くなる。この小柄で六十歳を越えた老人がはたして剣の遣い手なのか?そしてあの凄腕の剣客を倒すことが出来るのか?

老人は倅の反対を押し切り藩の依頼に飄々と承諾するとせがれの嫁の美緒に握り飯を作らせそれを持ち忽然と消える。そして数日後、城下のはずれの原野で天狗を見たという話が伝わってくる・・・。

自分がもし、この作品を映画化した場合 主人公の範兵衛を誰に演じさせるのかと自分勝手な妄想を話させて戴くと昔なら辰巳柳太郎、あるいは緒形拳丹波哲郎などか?
今ならヒットを狙い仲代達矢か・・・嫁の美緒には南果歩、そして倅の篤之助には渡辺いっけい
清家猪十郎にはビートたけし 女中のおりきにはあき竹城などをつい想像してしまいます。

一見耄碌しているように見える老武芸者とその息子の嫁との心を描いていて美しい。
ラストに用意されてる美緒の自害とその理由・・・
「しかしそれでは美緒がかわいそうじゃ」不意に老人は言った。言いながら範兵衛の目に、みるみる涙が盛り上がった。「新しい嫁をもらっては、美緒が哀れじゃ」
中略
その研ぎ澄まされた孤独な視野に、美緒の美しさと温かさは思いがけなく危険なものに映った。
・・・・美緒はそれを恥じて死んだ・・・・
範兵衛はのろのろしたしぐさで懐を探り、懐紙を取り出して、もう一度涙と洟を拭いた。
美緒が死んでから老人の洟まで心を配るものは誰もいない。
中略
開け放した障子の外に、晩秋の透明な光が溢れ、その中に時おり落葉が音もなくひるがえった。
範兵衛は、今年は早めに出してもらった行火炬燵の中ですでにうつらうつらしている。
美緒の哀しみと老人の哀しみが晩秋の庄内の中で埋もれてゆく余韻を残した物語の終わり方が素晴らしいと思います。

命を懸けた試合に淡々と臨んだ「範兵衛」と息子の嫁「美緒」との秘密とは…?その答えは…。原作をお読み下さい。私は藤沢周平の故郷 山形県鶴岡市へ何回行ったことだろう。数年前に鶴岡市がこの地のお城の敷地内に建てた「藤沢周平記念館」もあり、また、藤沢作品に登場する庄内藩をモデルとした架空の城下町の海坂藩(うなさかと読む)を流れる五間川(実際には鶴岡市を流れる内川)や郊外には小説の舞台となった城下のはずれの原野にも立ってみました。今では舗装道路が交差し、コンビニもありますが背後の山々の裾野には今でも背の高い雑草が生い茂る広大な原がその雰囲気を感じさせてくれます。