藤沢周平「小川の辺」を見て

7月2日より全国で公開されている映画「小川の辺」を観て来ました。
原作にそってほぼ忠実に描かれている映画にホッとしながらも今一つ満足感が有りませんでした。
【あらすじ】東北の海坂藩藩士・戌井朔之助(東山紀之)は藩政を批判し脱藩した佐久間(片岡愛之助)を斬れと家老
笹野高史)から命を受ける。しかし、佐久間はかつて剣の腕を共に競った仲間である上に実妹・田鶴(菊池凜子)の
夫でもある。逡巡の末、両親(藤竜也松原智恵子)とも相談の後、朔之助は家名を守るために刺客となる決意をし、
部下である郎党の新蔵(勝地涼)と共に佐久間と田鶴が潜伏する千葉の行徳に向かう。新蔵は幼いころより戌井家で
朔之助と田鶴の兄妹と共に育ち秘かに田鶴を想っていたが・・・。

最大のミスキャストは菊池凜子だ。顔がキツイ、かつらが似合わない、殺陣が拙い、セリフが下手など、とても時代物
に使えるようには思えなかった。拾い物は朔之助の新妻幾久を演じた尾野真千子武家の新妻がよく似合っていました。
この篠原監督は時代劇のヒロインを選ぶセンスが今一のようで・・・。先回の「山桜」でも田中麗奈を抜擢しましたが
着物を着て上手に歩けないような女優では情けないです。共演の富司純子壇ふみ、永島映子が素晴らしかっただけに
余計田中麗奈の下手さが目立っていましたよ。今回も松原智恵子尾野真千子の方が菊池凜子より数段勝っていました。

もう一つは篠原哲夫監督の手腕です。先回同じ藤沢周平原作の「山桜」を映画化し大成功しているのに今回の「小川の辺
では確かに原作をほぼ忠実に描いているのに何故か映画的サプライズが希薄だったように思う。藩主、藩政の失策を批判
した佐久間を肯定しながらも藩命に背けず(つまり自分や家名を守るため)刺客となり妹まで斬らねばならぬことを覚悟
して決闘の旅に向かう朔之助の兄として武士としてのけじめのつけ方、主人の娘「田鶴」を想い続ける新蔵の焦燥感などが
佐久間夫婦が隠れ住む千葉の行徳へと向かう朔之助と新蔵の心理的変化の描き方が足りず(ほとんどが幼き頃のエピソード
の挿入)説明不足でした。

◆なぜ田鶴は幼い時から兄の言うことを素直に聞けなかったのか?
◆なぜ新蔵は田鶴を身分が違うのに愛してしまったのか?そして田鶴の心理や感情は?
◆なぜ朔之助は(当時の武士は藩命に逆らえないことは承知しているが)もっと悩まなかったのか?また、家老ら執政に
 対する憤りを表現して観客にアッピール出来なかったのか(観客を納得させるカタルシスが感じられない)
◇オープニングシーンからクライマックスそしてセリフまでほぼ原作に忠実、更に日本家屋のたたずまいや行燈の灯りや
 部屋の陰影など映像美は素晴らしい
◇小川で溺れそうになった幼い田鶴とそれを助けた新蔵のふたりは上意討ちされる男の妻と討手の助っ人として小川の辺で再会
 するがふたりをもう一度結びつけたものが幼いころの郷里の小川と同じ豊かで清らかな川だったことが運命的な結末として
 観客に静かな感動をあたえてくれる。

原作の言葉を少し紹介します。朔之助と新蔵の旅宿での会話
「いま、小さい頃のことを考えておった。田鶴はきかん気の子で、兄のわしにもたびたび手向かってきたが、お前と喧嘩
したのは見たことがなかったの」
「・・・・・・・・・・」
「あれは考えてみると不思議だった。お前をつれてきて、よかったかも知れん、あれはひょっとしたらお前の言うことなら
聞くかも知れんからな」「若旦那さま」不意にはっきりした新蔵の声が聞こえた。「旅の間に、私は一心にそのことを考えて
きました」田鶴のことは新蔵にまかせておけばいいかも知れん。昔からそうだったのだと朔之助は思った。(抜粋)

尾野真千子演じる幾久(なかなかいい)
映画でも小説でもですが感情移入出来ない読み手や観客はミジメなのです。幼いころ河原で遊び大水に巻き込まされそうに
なったくらいで身分違いの恋になど発展しないし、聡明で正義感もあり剣の達人でもある朔之助がいくら藩命と言えども短気で
無能で自尊心の高い藩主や日和見主義の家老や執政たちの命令を余り悩まず義弟と実の妹まで討つ覚悟にはならないのでは
ないかと思います。小説では一つのエピソードで様々な思いを読み手に想像させることは可能だが映像ではそのひとつひとつを
見せないと観客は気づいてはくれません。もし映像の裏に隠されている監督が観客に伝えたいことを表現出来るならば相当な
力量の演出家と言えよう。
例えば宮本武蔵が登場すれば観客の方で剣の達人で佐々木小次郎と決闘するとすべてを分ってくれるし、大石内蔵助が登場すれば
やがて四十七士を率いて吉良邸に討ち入ると理解してくれます。例えそれが自分にとってミスキャストであっても、しかし残念ながら
東山紀之が戌井朔之助を演じても聡明さや心理描写は観客に伝わらず、菊池凜子が田鶴を演じても女剣客や勝気な性格、夫を愛し
ながらも実家の郎党新蔵への想いがあったなどと思うほど観客は残念ながら物わかりが良くありませんし、親切でも有りません。

原作ものを映画化する監督が陥りやすいのがすべての観客が原作を熟読していて分った上で観に来てくれたと勘違いしていることです。
現実には藤沢周平は好きだがこの原作は読んでいない。読んだことはあるが余りよく覚えていないとか、深読みしていなくて単に
ストーリーを諳んじているとか観客のレベルは様々です。小説と映像(映画)は全く別物として作るのがプロではないでしょうか。

藤沢周平のファンとしてまずまずの映画と認めてはいますが更なる精進をとご期待致します。


東山紀之、菊池凜子、片岡愛之助、勝地 涼 など