V-storm50の時々日記 ドキュメンタリー「東京裁判」


今、安倍内閣のもとで中国、韓国との関係が冷え込んでいる。両国の主張が「靖国参拝」「集団的自衛権」「憲法改正」など日本の右傾化に対して警戒と反発が激しく言わばご近所同士の仲が険悪な状態になっている。更に「武器輸出3原則の見直し」そして尖閣竹島などの領土問題に加え「従軍慰安婦」問題などが山積している。過去のことを言い争い、自国の主張や利益しか考えず、内政の不満を仮想敵国に向けるような民心のコントロールなどより、お互いの経済的メリットやアジアの平和と繁栄を築き上げるべく未来に向けどうしたら関係改善が出来、ご近所同士で理解し合い仲良くできるのかを考えてほしいと願うのは私だけではないと思います。
日本人はどんな悪人でも死ねば仏となり、罪は消えると平安時代の僧、法然上人や親鸞が説いた「念仏を唱えよ。悪人こそ救われねばならぬ」の心を受け継いでいます。
「死者に対して鞭を打つようなことはしてはならぬ」「死により全ての罪は消える」「どんな人間でも死ねば仏となる」このような考え方は永遠に理解してもらえないことなのだろうか…。
私は時折り過去の太平洋戦争を考え「東京裁判」を観返すことがある。GHQが克明に記録したこの裁判の一部始終と当時の世相や社会問題の映像を執念を賭けてドキュメンタリー映画にした名匠「小林正樹監督」の映画、是非機会を作り、皆様方にも鑑賞して戴きたい作品です。


監督小林正樹 ドキュメンタリー「東京裁判」 278分

この映画にはエンド・マークが無い、
それは戦争について、平和について、そして人類の未来について問題提起しながら終わるからである。我々はこの四時間三十七分と云う映画を観終わった時から考え始めるのだ、そして自らがその答えを見出し自らがエンド・マークを心に印すのだ…。ポツダム宣言から始まり朝鮮戦争キューバ危機、ベトナム戦争スエズ危機、フォークランド紛争中東戦争などの国際紛争の年表で終わるこのドキュメンタリー映画は日本を占領した米軍(GHQ)により昭和二十一年から二十三年までの極東軍事裁判東京裁判)の法廷を記録した百七十時間に及ぶフィルムを中心に日清、日露戦争を経て2.26事件、満州事変へと日本が軍国主義に突き進む過程を当時のニュース映画を挿入しながら描く。すべての日本人に知ってほしい戦争の姿そして平和とは。裁かれる日本…「東京裁判」とは何だったのか?いったい何が裁かれ、何が明らかにされたのか?

このドキュメンタリー映画は戦後日本の原点であり激動の昭和史の凝縮であり戦前、戦中、戦後派は勿論、全く戦争を知らずに育った若者たちの魂さえも大きく揺さぶることだろう。
このドキュメンタリー映画東京裁判」で投げかけられるいくつかの重大な問いかけがある。
①国家が戦争したことを犯罪と見なし、それに対する責任を裁判という形式で問うことが適切か?しかも戦勝国が敗戦国を裁く事が公正で正義な事と云えるのか?それは勝者側のみの正義にならないか?(なぜ中立国にしないのか)

②平和に対する罪とは何か?アメリカ側は、日本は「侵略戦争を計画、準備、実施する為、共同謀議し踏襲された」と定義づけしたが日本側の認識では「列強(米、英、蘭ら)による経済封鎖を打開し国際紛争を解決する為の自衛戦争」であった(当時者側の視点に立つとその行為は全く反対のものになる)

③戦争責任は国家機関と云う組織であると云う世界的な常識を無視し東京裁判では被告を首相、外相、陸相、軍人などの個人の責任とした。

アメリカ検察団は日本側の残虐行為を鋭く訴追しながら自国が行った原爆投下の不条理を日本側弁護団に追及されたが判決でこれを無視した、しかし判事の一部は原爆投下をナチス・ドイツユダヤ強制収容所ガス室と同一視したのである(原爆投下は軍事拠点や軍需工場、軍人を目標とせず一般人を狙った無差別大量虐殺であった)

⑤インドのパル判事はこの東京裁判そのものを国際法上に触れる違法な裁判であるとし米国を中心とした連合国のこれを「法と正義の衣をまとった復讐劇」と言い切った。
当時(今もか?)有色人種が白人に歯向うことなどは許されないことで、まして日本人が白人に勝利するなどは絶対に許されない、あってはならないことと欧米人は思っていたようだ。

ナレーションを担当した俳優の佐藤慶はのちにこの録音に何と一年六ヶ月かかったとその苦労を語り、録音時に緊張感と使命感に燃えてナレーションに臨んだことを述懐している。小林正樹監督は膨大な記録フィルムの中から記録以上の何かを掘り出し我々の心に問いかけた。オーストラリアのウェッブ裁判長、アメリカのキーナン首席検事、日本の清瀬一郎主任弁護人そしてインドのパル判事などで繰り広げられた東京裁判の全貌を描いたこの作品は全ての日本人が観なくてはならない作品といえる。
東京裁判と同時に描かれる急激に台頭する共産国ソ連の脅威、鉄のカーテン!そして東西の冷戦。当時の世界の指導者ルーズベルトチャーチルスターリンヒットラー、ドゴール、蒋介石ガンジートルーマンら…

戦後の社会不安、食糧難と共に行動躍進する日本社会党日本共産党の姿。
原爆投下の真の目的と天皇への戦争責任訴追が断念された真の理由とは!?
そして裁判開始から二年六ヶ月後の昭和二十三年十一月十二日A級戦争犯罪人とされた
二十八名の被告に対し判決が言い渡された。
土肥原賢二陸軍大将(奉天特務機関長)絞首刑
板垣征四郎陸軍大将(中国戦争遂行者)絞首刑
木村兵太郎陸軍大将(戦争の計画謀議)絞首刑
松井石根陸軍大将(南京事件の責任者)絞首刑
武藤章陸軍中将(陸軍の中枢、東条の懐刀)絞首刑
東条英機陸軍大将元首相(対米開戦の推進)絞首刑
廣田弘毅元首相(文民で只一人の極刑)絞首刑
荒木貞夫橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎星野直樹木戸幸一小磯国昭、南次郎、岡敬純大島浩佐藤賢了重光葵嶋田繁太郎、鈴木貞一、東郷茂徳賀屋興宣白鳥敏夫梅津美治郎永野修身松岡洋右大川周明(以下終身禁固から禁固二十年、内死亡二名と発狂による免訴一名)

刑の執行は昭和二十三年十二月二十三日未明巣鴨拘置所で行われた、そして彼らは靖国神社に合祀された。
平和を求め真理を追求した哲学者裁判官インドのパル判事はその判決書の中でこの裁判の矛盾を暴き日本の侵略を否定し、真の侵略者はアジア諸国に対し行ってきた西欧列強の植民地政策こそがその罪に問われるべきであり西洋人が根底に抱く東洋人蔑視がその源になっていることを指摘し全員の無罪とこの裁判の不当性を訴えた…。
いわゆる「パルノート」と呼ばれるこのパル判事の意見は判決直後から現在に至るまで一部の知識人や歴史学者、研究者などに「日本無罪諭」として考えられてきたが、それはパル判事の真意ではないと思う。いかなる理由があるにしても国家が戦争を始めれば多くの犠牲者と不幸が戦火に巻き込まれた国々や他国の人々にも及ぶ。そして多くの非道で非人間的な行為が行われることは間違いない。その意味に於いて日本は戦争を起こしたことの罪は拭い切れないと、パル判事は後に述懐している。

わずか66年前のこの裁判の判決と刑の執行のあり方や考えを改めて見つめ、そして今を考えるとき、真の人類の平和や人種を超えた理解と幸せを考えて見なければならないと思います。少し、重い話でした。