V-storm50の時々日記 ひこにゃんと彦根城


愛らしい踊りと仕草で私たちを迎えてくれた「ひこにゃん

彦根城の周辺はこんな素敵な人力車で見学することも出来ます。

9月の最終日曜日29日朝5時起床、マイクロバスに乗り、北陸道をひた走り滋賀県近江八幡市
まで知り合いの御嬢さんの結婚式のビデオ撮影を依頼され行ってきました。快晴の北陸自動車道で休み休み走って約6時間そして厳かで感動的な挙式と華やかで楽しい披露宴を撮影。
その日は彦根市内のホテルに宿泊。どうせ滋賀県まで来たのだからと翌日は彦根城を見学
してきました。ご存じ彦根城関ヶ原の武勲により井伊直政が家康より石田三成が近江の
佐和山に築いた城を拝領したがそれを彦根に移し現在に至った名城です。

井伊の赤備え(真っ赤な甲冑や旗印)と呼ばれ戦場で一番目立ち敵からも味方からも遠く
から目立ち、退くことが出来ず、ひたすらに前進する勇者たちの軍団で、元々甲斐の武田
軍団でその人ありと言われた板垣信方率いる赤備えの勇者たちを家康の許しを得て直政が
召し抱え井伊家の戦力としたためと言われています。
この勇者の赤軍団は井伊家ばかりではなく大阪冬の陣と夏の陣で西軍の中で最も勇猛果敢に攻め立て、一時は家康の本陣まで攻め入った真田幸村の軍団も赤の軍団で有名でした。

時は流れ動乱の幕末期、嘉永から安政にかかて徳川幕府を支えて開国に踏み切った「井伊直弼」も彦根城の主で大老職を務め幕府の存続のため安政の大獄を断行し、開国に踏み切ったことに反対した水戸浪士や薩摩浪士により桜田門外で暗殺されました。

直弼は十四番目の庶子(側室等の子で父である藩主が認知した子/父は認知しないが母が
認めた高貴の子のことはご落胤とか落としだねと呼ばれる)で、自分は世に出ることは
一生出来ないと覚悟し、本丸にも登城出来ず、埋れ木舎と呼ばれる城地内の家で悶々とした
青春時代を過ごした。運命の巡り会わせで次々と病没した兄たちに代わり、井伊家の当主と
なってしまったことで数奇の運命をたどることになった。

今訪れても彦根城は昔の佇まいを見せ、琵琶湖を背景にくっきりとその姿を見せてくれます。井伊家所蔵の数々の歴史的な品物は見る者を圧倒します。
最近ではご当地キャラの「ひこにゃん」が有名で若い人や歴史に興味のない人でもこの
ひこにゃん」は有名でしょう。
入り口からかなりの数のいくつもの石の階段を上り切り天守閣のある広場まで行くと
運が良ければ「ひこにゃん」に会えます。すっかり人気者で有名人となった「ひこにゃん
は愛すべく顔とスタイルそして可愛らしいしぐさで階段を上り切った疲れを癒してくれます。

彦根城天守閣広場からの展望。琵琶湖が綺麗でしょ!