V-storm50の時々日記 舟を編む


本屋大賞を受賞した三浦しをん原作の「舟を編む」を観てきました。昨今は異常ともいえる邦画ブームで
聞くところによると洋画の来場者を抜き日本映画の方が入場者が多いと聞きました。確かに最近では洋画も
劇場からして吹き替え版と字幕スーパー版が同時公開されるなどどれを観ても日本語だから洋画、邦画を
特別意識しないで観れることやCG技術の飛躍的な進歩で、ある意味簡単に大がかりな撮影や大迫力の
スペクタクルシーンが作れることもあり大資本の大がかりなロケやセットを売り物としたハリウッド作品と
遜色ない日本映画が創れるようになったなどの背景があるのだろう。


加えて放送局を中心に商社、大会社更には観光を見込む様々な自治体や○○映画実行委員会などもやたらと
目立ち映画の話題性や経済効果を目論む人たちが随分増えたように感じます。私の持論である映画界にしろ
TV界にしろ「幼児退行化」にまっしぐらに突き進んでいる印象は拭えないのが正直な印象です。
分かり易いストーリー、顔・しぐさ・セリフ使いで即座に分かる性格描写や人物描写などこれでもかの作り手
のおせっかいさが鼻につく作品が洋の東西を問わず多いように感じるのは私だけではないと思います。


だから観終わったとき「予期しない意外な結末に呆然とする!」な〜んてことはまずなく、結末が半分も観ない
うちに判るのなんて可愛い方で最初から結末が透け透けで、もしかしたらこんなシーンでこんなセリフを言うのでは
と想像してたらその通りとなり制作者や監督のレベルが観客と同程度なのかそれともよく言えば観客の心理を
読み観客の期待通りのストーリー展開と結末をサービス精神とプロ精神で提供してるのでしょうか。

話を「舟を編む」に戻します。ある大手の出版社が現代の新しい辞典を創るまでの単純明快なストーリーです。
現代の言葉の海を渡る辞典ということで「大渡海」と銘々された辞典を作るまでの苦労物語だが設定として
この辞典づくりの担当者はどちらかと言うと会社内でも窓際や落ちこぼれが集まっていてその事務所も古びた
旧社屋の汚れたビルで隣に立つ高くて立派な新社屋のビルから見るとかなり見劣りしている。編集の中心者が
女房の病気が原因で定年を待たずに退社することとなり代わりの人材を本社の社員の中から選ぶことになる。


選ばれたのは営業部では一番冴えない「馬締光也」(松田龍平)本の虫とも言える一風変わった若者。辞書作り
と言う馴染みのない世界を丹念に描きながら馬締(マジメ)クンが一目ぼれする下宿屋のおばあちゃんの孫娘の
「林香具矢」(林カグヤ=宮崎あおい)との恋の行方。
今を生きる辞書…見出し語24万語、完成まで15年の大プロジェクトは果たして!?
言葉のプロなのに彼女に想いすら伝えられないマジメ君やお調子者の先輩はオダギリジョーと恋人の同僚池脇
千鶴などをベテランの加藤剛小林薫渡辺美佐子八千草薫鶴見辰吾伊佐山ひろ子らが支える。


監督は「石井裕也これぞ日本映画とも言える良質で佳作の映画と言える。一般的に馴染みのない一風変わった
辞書の編集や言葉集め、その解説などを丹念に描きながら変わり者、はみ出し者、冴えないチームが奮闘し
成長してゆく物語はなかなか面白い。演じる役者たちもそれぞれ適役で生き生きと演じていることもこの映画
の成功につながっているように思う。三浦しをんの原作の面白さを巧く引き出せた良質の映画と言えるだろう。


これも持論ですが「だが、しかし、観終わったときこれを劇場の大スクリーン、大音響で上映しなければならない
必然性や必要性」をつい考えてしまいました。
確かに映画はどんなストーリーや小さな物語、出来事でも映画にできる。
しかし映画のもつダイナミックさ、華麗な物語、大自然や大きな出来事、歴史や、戦乱などの巨大なうねりの中で
翻弄される人間たちや運命、生きざま、男女の愛などなど…。映画ならではの見応えや「花」のある映画を!
との観点からすると…?かってテレビもない時代であれば家族や小さな物語も映画の素材として必要でありその
価値もあると思うが観終わり「いい映画だった。日本映画のひとつの模範的な作風かもしれない」との感想も
もてたが今、一方でテレビドラマでもよかったのではないかとふと感じてしまいました。