V-storm50の時々日記 耳取遺跡発掘報告会



本日(3月3日)午後2:00からアルカディア平成24年度の耳取遺跡発掘報告会がありました。昨年は中央公民館の視聴覚室で
開催されましたが満杯で今年は会場の広いアルカディア小ホールとなったのでしょうか。気が付くといつの間にか会場いっぱいの
ファンで席も埋まって少しビックリです。
伝承館の安藤館長の説明はまず、見附市の地形と耳取遺跡の位置関係から始まり、トレンチ(試掘抗のこと)を開け、様々な炉や
土器、更に竪穴式住居跡の発見やその規模、場所、数などを詳しく説明し、縄文中期、後期、晩期と少しずつその集落を移動させながら
耳取山(見附市では山というよりやや小高い丘陵地帯か…)で集落を形成していた古代人たちの暮らしを想像させてくれました。

安藤さんは当然、想像や憶測でものが言えないので聞いていて少し歯がゆさを感じましたがそれは受け取る人間の想像力の問題でしょう…。


遥か古代の時代、彼らは雨の降るたびに様相を変える刈谷田川や湿地帯を耳取山から眺め水が引けば平地に降り川や湿地帯で魚などを採り、

耳取山ではドングリや木の実を採り石で擦り潰し、それを煎餅みたいに平たくして土器の上で焼き、食料にしたり、チャンスを待ち、
命がけでイノシシなどの獣を狩り、たまには栄養の豊富な肉を食べたのでしょうか?そんな生活では安定した食物が手に入らず、農耕や
畑作などで安定した食物が手に入る工夫をしたり、家畜を飼うことも覚えたのでしょうか。栄養が少しずつ豊かになり、集落のそれぞれの人々のあいだでも、
体力の優れたものが狩猟を得意とし、手先の器用なものが土器を作り、農耕や畑作が得意なものが作物を作るなど専業へと形成され
栄養が豊かになるに従い脳や口蓋が発達し、そこからコミュニケーションの原点の言葉が生まれてきたのでしょうか?
古代人の立場で創世記の人間たちの生きていた時代の自然環境や生活を考え想像することも楽しいことです。

おそらく今日、参加された方々もそんな想像をされた方もおられるのではないかと思います。ダーウィンの進化論を否定する学説も
あり人類は哺乳類、猿、猿人から進化したのではなく、最初から類人猿みたいなものだったとする説もあります。混迷する現代の世界、
人類の原点を考えることも大事かも知れません。
アインシュタインが晩年「人類の未来はどうなるのか?」
とのある記者の質問に対し「人類はもう一度石を持ち闘うことになる」と言う謎めいた言葉を残し世界中の学者やマスコミを悩ませました。
今現在の世界は宇宙をも巻き込む地球環境の悪化や混迷する人類で共産主義は崩壊し、資本主義も崩壊しつつあります。
人類が原点に還りもう一度リセット(初期化)することも必要かもしれませんね。そんなことを考えさせられました。