耳取遺跡発掘調査報告会

話題が1日前後しますが3月4日(日)午後2:00〜中央公民館にて耳取遺跡発掘調査の報告会が行なわれました。
報告は見附伝承館の安藤館長より行われ会場満席の熱心な市民が興味深くその説明を聞きました。

報告によりますと文化庁の支援で昨年一年をかけて発掘調査された遺跡は刈谷田川流域では最大の遺跡となるようです。
時代は縄文中期、後期、晩期と分かれ耳取山の広範囲に土器は勿論、住居跡(柱や土台の跡)更には石囲いの炉、そして
ひすいの大珠や磨製石斧、石剣など様々なものが発掘されました。



このことでまだ推測の域を出ませんがかなりの長期にわたり、縄文人がここで生活をしていたと思われます。縄文時代
思いを馳せた時、その食生活や暮らしぶり、自然や獣たちとの闘い、厳しい冬など想像を絶するものがあったと思われます。
恐らくこの耳取山は高くも低くもない丘陵地帯で平地は見渡す限り湿地帯とところどころに季節ごとにその流れを変える
刈谷田川が光って流れ、葦が生えていたように思います。谷に沿って流れる水を堰き止め僅かな稲作を作っていたので
しょうか?人類も獣のように「が〜」「あ〜」「お〜」などしか発声できなかったのでしょう(多分=私の憶測ですが)

そしてこの集落で暮らす一族はどこかで他の地域に住む別の一族と交流し、娘を交換したりして進化していったのでしょう。
当然一族ごとに食生活も違い、どこか栄養状態がその食生活の中で違っていた一族がいて脳や口蓋や声帯が発達し或る日
「あか」「ぐる」など言葉を重ねたり続けたりして自分の意思を伝えることが出来たのでしょうか?思いは遥か縄文時代
飛びます。本年度の発掘調査に期待致します。