常在戦場

やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

越後の英傑河井継之助を生んだ旧長岡藩からの家訓、常に戦場と心得て
考え行動せよの教えを守りながら行動した信念の人、山本五十六の映画を
本日観てきました。日清、日露を戦い勝利した経験から実力を過信し、
海戦巨艦巨砲主義で制海権こそ戦さと考える過去の軍人に対し、高速一撃
離脱方式で制空権こそが新しい考え方だと考える五十六との相違が深まってゆく。

若き日、アメリカを目の当たり見て国際的な視野に立つことが出来た五十六は
航空兵力と制空権こそが近代戦にとって大事なことと言い続けるが上層部
には理解されない。運命は五十六を連合艦隊司令長官に任命し、軍人の中で
最も日米戦に反対した男が皮肉にもアメリカに戦いを挑むことになる。

物語は購読数の獲得のため世論を煽り開戦へ誘導して行く報道人の醜い姿を
描きながら破局に向かう戦争と悲劇の武将五十六の姿を描いてゆく。

世論を代弁していることを大義名分として国策である日独伊三国同盟
日米開戦を煽ってゆく新聞社(東京日報)主幹の香川照之や報道のあり方に
疑問を感じながらも何も抵抗できない記者の玉木宏そして「いくら戦争に
勝っても多くの若者が命を落とすのよ!」と諭す居酒屋の女将瀬戸朝香
などのエピソードをはさみながら三国同盟そして日米開戦、真珠湾の奇襲
ミッドウェー海戦などを経て敗戦に向かい破局の道を歩む日本を描いてゆく。

日本の敗戦が濃厚となった昭和18年4月18日前線基地の視察に向かうブーゲンビル
島の上空で米軍機による銃撃を受け山本五十六戦死 享年59歳であった。
五十六が戦死し、更に2年後終戦を迎え戦地から復員した記者(玉木宏
は呆然と焼け野原の東京を見つめる。新聞社に復職した記者は早くも進駐軍
意向であるアメリカ式の民主主義を記事の大見出しにすること声高に主張する
主幹の言葉に反発しながら結局何も言えずにビルの屋上に出て焼け野原を
見ながら生前の五十六が言った「報道人ならその目と耳と心でしっかりと
世界で起きていることを感じ取れ」の言葉を噛みしめる。

観終わった後、映画の作り方に不満というか疑問が残るのはこの記者は
五十六の言葉を重く受け止めながら結局何も出来ずにこれからも生きてゆく
終わり方でいいのか?と思いました。私なら真の報道人として主幹に抵抗する
とか、あるいは喧嘩して新聞社をやめるとか何かアクションがほしいように
思いました。最近の日本映画ってみなそうなのでせっかくメッセージを発信
しながら涙を誘うだけの只のおセンチで尻すぼまりに終わって仕舞うのです。
映画大好き人間から言わせればこの映画では起承転結のうち一番肝心な結が
欠如しているように思えるのです。つまり何が発端で誰と誰がどのように考え
苦しみそして行動し、そして破局(この作品の場合は主人公の死と終戦)が
訪れ、そして哀しみとやり場のない憤りだけで突然収束されては適わないと
言う気がする。

観客にカタルシスを与えるのが監督の使命でありそこがプロの手腕であろうと
思うのだが・・・。先に言ったようにここは記者の玉木宏に何らかの行動を
とらせ五十六の思いを戦後を生きる次世代に託すような終わり方にすべきだった
と思いこの映画の終わり方に大きな不満が残ってしまうのです。

カタルシス=観客が物語の悲劇性により抑圧された感情を一気に解放出来る映画や
演劇の演出方法のテクニック