最後の忠臣蔵

2週連続での映画鑑賞でした。
ラストサムライの制作者(ハリウッド資本のワーナーブラザース)が総指揮をとった日本人しか判らない美学と
様式美の世界を映画化した。これほど映画、TV、歌舞伎、小説などで描かれ続けた物語はないだろう。
今回の原作は池宮彰一郎 東映時代は本名の池上金男の名で大ヒット作「十三人の刺客」「大殺陣」などの脚本
を手がけその後、作家池宮彰一郎として92年に「四十七人の刺客」でデビュー新田次郎賞を受賞し「本能寺」
高杉晋作」「平家」「島津奔る」「天下騒乱 決闘鍵屋の辻」等数々の時代小説を発表、その斬新で新たな
解釈、更に武家や当時のしきたり、世相、風俗の精緻な描写がファンを唸らせた作家です。

特に元禄時代に起きたいわゆる赤穂浪士の事件の関連作品が多数あり作者独特の視点や解釈で発表しています。
今回映画化された「最後の忠臣蔵」はまさに最後のエピソードで討ち入り前夜に脱盟し、何処かへ姿を消した
瀬尾孫左衛門と討ち入り後に大石内蔵助に生き証人としてまた、遺族たちの行く末を見守るため生きることを
命じられた寺坂吉右衛門の二人の主人公を軸に物語が進行する。

まだ観てない方のため詳しいストーリーは避けるが原作を熟読した目線での映画の感想を思いつくままに書きます。
この物語は討ち入り16年後のエピソードで瀬尾は脱盟した腰抜け武士とされ寺坂は討ち入り後切腹を恐れ逐電
した武士として二人共、世間から逃げなくてはならないアウトローである。
①瀬尾が旧藩主の墓参中、討ち入りに参加しなかった旧浅野家上司たちに見つかり暴行を受けるシーンがあるが
どう考えても最初から討ち入りに参加しない人々が前日までは討ち入る同志の一人として命を削ってきた瀬尾を
暴行する大儀名分は立たないと思うのだが・・・?
②京都郊外の集落で内蔵助の忘れ形見の可音を武家の娘として立ち居振る舞い、行儀作法、茶道、書画、歌舞音曲
などを母のように教える島原の元太夫「ゆう」が瀬尾を密かに想っている。何故瀬尾を想うのか?あえて脱盟の汚名
を浴びても沈黙を守る立派な武士だからならもう少し「ゆう」の真情を表現しないと何故愛したのか疑問が残る
③可音を無事育て上げ日本一の豪商の跡継ぎに嫁がせ役目を終えた瀬尾が内蔵助の位牌に手を合わせた後、位牌の
前で切腹をする感動の最後のシーンで仏間の畳まで裏返し(血で座敷を汚すため室内での切腹では作法とされてる)
そこまで用意周到の瀬尾が無精ひげもそらず、水ごりで身を清めず、髪も梳かず見苦しいまま果てるのは合点が
いきませんでした。

また、寺坂の討ち入り後の命がけの江戸脱出も描かれておらず、討ち入り直後の江戸はまさに戒厳令下であり、
その江戸をいとも簡単に脱出し、しかも同志遺族を尋ねながら遺族へ大金を与えるなど原作で描かれている金の出所、
その後の幕府の対応、遺族に対するむごい遠島などの処置も説明不足でした。あらすじを言えば内蔵助の忘れ形見で
ある可音が忠実な爺やに大事に育てられ美しい娘に成長し豪商に見初められ、めでたしめでたしのサクセスストーリー
ではちょっとさびしい内容でした。

更に人形浄瑠璃の「曽根崎心中」がやたら挿入され監督にとっては何やら意味があるのだろうが物語を中断させる
逆効果だったように思うし、可音が密かに想った男が瀬尾で瀬尾はそれに戸惑う。
元上司の娘に想われた訳だが瀬尾自身の心情が観客に伝わらず何だか「足ながおじさん」の物語時代劇版みたいでした。

原作ものを映像化する難しさを改めて感じた作品でした。