熱き拳!


最近続けざまにボクシングのタイトルマッチ戦が行われテレビでも中継された。手に汗を握る戦いだった。ほとんどの日本人選手がチャンピオンとなったり、防衛して王座を守ることができた。ゴールドメダリストで無敗を誇る村田諒太の判定は誰がみてもおかしい判定で、どうやら再戦となるようだ。熱戦を観ていて、この映画を想い出してしまった。

ミリオンダラー・ベイビー」 愛する人よ、お前は私の・・・ 崇高な生命と愛の珠玉の物語配給松竹2005年133分 監督・主演クリント・イーストウッドヒラリー・スワンクモーガン・フリーマン
「これはシンプルなラブ・ストーリーだ」とイーストウッド自身が語った。(アカデミー賞主要4部門作品・監督・主演女優・助演男優賞受賞)
実の娘に愛想をつかれ、縁を断たれた初老のボクシング・トレーナーと、家族の愛に恵まれない孤独な女性ボクサーとの間に生まれる崇高な愛と絆の物語をイーストウッドは慈しむように最高のドラマにした。
どれくらいの観客がこの映画を「サクセス・ストーリー」の栄光と挫折を描いてると感じるだろうか…この映画はもっと奥深く、我々に突き付けられるテーマは重く、そしてつらい…
 娘にも見放された初老のボクシング・トレーナー「フランク=フランキー」(C・イーストウッド)「フランキー」の相棒でボクサー時代に負ったダメージで片目を失明した、かっての黒人ボクサーその名も「スクラップ」(モーガン・フリーマン)は切っても切れない仲。そして極貧のトレーラー生活の家庭で育った「マギー」(ヒラリー・スワンク)は場末の汚いレストランのウェートレスをしながら夢を掴もうとしている。客の食べ残しのミートローフを犬に食わせるからともらい、自分の食事にしてまで・・・。
登場人物はみな不器用で、人生に挫折して年老いていたり、夢を見るには歳を取り過ぎていたり、それぞれの切なさと孤独を抱えそれでも必死に生きている。
「女には教えない」とぶっきら棒にコーチを断るがマギーはジムに通い続け、黙々とサンドバックを相手に不器用なパンチを打ち続ける。或る日フランキーのパンチングボールで練習していたマギーはフランキーと言い争う「私が31歳だから教えないの?いくつまで待てばいいの?。13歳からウェイトレスをして兄は刑務所、妹は不正請求で生活保護を打ち切られ、父は死に、母は145キロのデブ女、私はそんな環境から抜け出したいの!私をチャンピオンにして、お願いフランキー。」そしてあくる日からふたりの厳しく地道なトレーニングが始まる。
映画の中心になるのは、女性ボクシングチャンプをめざすマギーのファイトシーンとフランキーとマギーの擬似父娘関係。娘と音信不通のフランキーは、マギーに娘を感じ、父親を亡くし、身勝手で冷たい家族を持つマギーも、フランキーの中に自分の父の姿を重ね合わせる。「フランキー」が「マギー」に指導するボクシングの上達を段階的に描く。
「サンドバッグだと思うな人間だと思え、回り込んで打つんだ。もっとアゴを引くんだ」
「見ていて気が付いた、君は足を動かさない。ひざを軽く曲げる、それがすぐ打ち込める構えの姿勢だ。」
「いいかマギー強いパンチより相手に効くパンチを打て」
「リズムだ、数を数えてもいい、ワンで打て、もう一度、次に右足を少し前に出し体重をかけ右で打つんだ、氷かきで氷をかくように」
「へたばっても休むな」
「低すぎる、右からフックを打て」
「ボクシングは理屈じゃない。人の考えの逆をする」
「左に出たい時は左に行かず右足のつま先を前に出す、右に出たい時はその逆」
「つま先から沸くパワーをひざを緩め、ジャブで爆発させる」
こういう細かい部分のリアリティさが、「マギー」が頂点に向け登りつめて行く過程で生きている。国内戦で次々と対戦相手をリングに沈め一躍女子ボクシング界の注目選手となる。

そしてふたりはヨーロッパを転戦するエディンバラ、パリ、ブリュッセルアムステルダム……。フランキーは世界に挑戦するマギーに、ゲール語アイルランド語)の「モ・クシュラ」というリングネームを背中に書いたシルク製の裏が白い深緑色のフード付きリングジャケットを贈る。「本物の絹だぞ!」
マギーがその言葉の意味を聞いてもフランキーは何故か教えない。その意味は映画の最後に明かされるが、この言葉の意味が分かった時、フランキーのマギーに対する気持ちが伝わり、ラストが意味深いものになる。
 前半は、サクセスストーリー、だが今まで様々なダーティーファイトを見てきたフランキーは忠告する。「マギー、ルールは常に自分を守る。注意するんだ」
 しかし、ダーティファイターとして悪名高き娼婦上がりで反則行為を繰り返し失格寸前のチャンピオン「青い熊」との闘いで、マギーがマットに沈んでから、物語は一転する・・・。
脳を椅子と床に強打したことで脊髄を損傷し首から下が完全に麻痺し、植物人間となったマギーはフランキーに懇願する。
 「ボス、お願いがあるの」 「いいとも、何でも聞くよ」
 「パパがアクセル(犬の名)にしたことを?」 「そんなことは考えるな」
 「でも、こんな生き方…ボクシングの試合に出て、世界中、旅をした。あたしの名を呼ぶ観客…。いいえ、あなたの付けたあの変な名前で応援してくれた。雑誌にも載ったわ。夢にも思わなかったことよ。あたしは生きた。思い通りに。その誇りを奪わないで。」 「死ぬ時もそうするわ、今の望みはそれだけ。」 「……」 「フランキーその邪魔をしないで。」 「できない。頼む。俺に頼まないでくれ」 「お願いよ」 「できない・・・」
後半にきて人間にとって大変重い「尊厳死」と言うテーマを私たちに突き付けられ観ている者すべてがフランキーと共に悩むことになる。
フランキーはその苦悩をスクラップにぶつける。
「彼女を生かすことは殺すことだ。彼女は神でなく俺に助けを求めている!」
そしてフランキーの決断に心が震える。
マギーの耳元でフランキーは囁く「マギー、【モ・クシュラ】の意味を教えてやる。愛する人よ、お前は私の血だ。」その意味を聞いたマギーはニッコリとほほ笑む。フランキーとマギーの心がひとつになる瞬間が心を打つ。そして同時にマギーに対するフランキーの想いが哀しいほど伝わってくる・・・。優しくマギーに口づけしたフランキーは言う。
「いいかマギー、君はこれから眠るんだ。」
そしてマギーのお気に入りの店、最高のレモンパイを食わせる郊外のダイナーでフランキーの後ろ姿を見かけるがフランキーは二度とジムに戻らなかった……。
「マギー」が天国に旅立ってもあの薬はまだ残っている、だから「フランキー」もきっと・・・。
 ボクシングジムで最も弱い青年でジムの選手たちにいつも馬鹿にされボコボコにされる純粋な「デンジャー」の存在が悲しい結末に希望を与えてくれる。
 この映画のモーガン・フリーマン演じる「スクラップ」の存在は大きい。若いときからの相棒で不器用で頑固なフランキーを理解する唯一の親友である彼の存在が映画の最後に生きてくる。それはラストにスクラップがフランキーとマギーのことを誰に語っていたかで全ての謎は解ける。重い結末だった。