V-storm50の時々日記 映画「あなたへ」


高倉 健さん6年ぶりの映画「あなたへ」を観てきました。観客のほとんどが60〜70歳代です(当たり前かな?)
監督は健さんとコンビを組んで20作目にあたる降旗康男監督。共演は田中裕子、ビートたけし長塚京三原田美枝子
浅野忠信大滝秀治余貴美子綾瀬はるか、草磲 剛それに佐藤浩市らです。


映画の創り方は典型的なロードムービー(主人公が何らかの理由や事情で旅立つ、旅先での出会いや事件がドラマの中心になり
終息点で物語が結実する映画独特のストーリー展開)ロードムービーの良さは背景(舞台)がどんどん変化すること、様々な
キャラクターの人物を登場させたり、事件が起きる設定が出来ることです。代表的なのが「イージーライダー」「ペーパームーン
F・フェリーニの「道」邦画では健さん倍賞千恵子の「幸せの黄色いハンカチ」や「男はつらいよ」シリーズなどです。


この映画「あなたへ」を鑑賞していて気が付くのは心地よさなんです。
最近の映画やTVドラマで耳障りなのが、とにかく役者のセリフが『怒鳴る』『わめく』『叫ぶ』など、とにかく大仰でうるさく過剰な
演技と動作が多すぎることだと私は感じています。大昔の映画はサイレント(無声)でした。綿密なストーリーと役者の表情やしぐさ
で観客に訴えていた訳です。現代劇は勿論ですが時代劇などでもやたらと武士がわめく、叫ぶ、怒鳴るなど聞くに堪えませんが皆さんは
如何お考えでしょうか?この現象はハリウッドに代表される洋画の世界でも最近特に目立つような気がします。このような過剰な演技は
『演技が出来ない=演技が下手』の見本のように思いますし=演出力、脚本の稚拙、編集力低下などキャストに留まらずスタッフの力量
不足にも大いに原因があるのではと個人的には感じています。
小さな抑えた声でセリフを言っても聞こえるし、必要なことさえ言わなくても心で何を思っているか、考えてるかは観客は感じ取れます。
むしろ話さない時の表情やしぐさ(例えば指先、背中、歩き方、眼差し)が必要且つ十分に心情を表現するものだと思います。
但し、理解するには或る意味登場人物たちに共感して感情移入出来ていることが条件ですが…。
そうゆう意味でこの映画には居心地のよさを感じるのです。


富山刑務所で受刑者の指導技官を務める倉島英二(健さん)は最愛の妻洋子(田中裕子)を不治の病で亡くした。
刑務所の上司で親友の塚本夫婦(長塚京三原田美枝子)は倉島を心配し夕食に招いたりしていた。或る日、遺言をサポート
するNPO団体から亡くなる前に書かれた妻からの絵手紙を渡される。そこには遺骨をふるさとの海に散骨してほしいと書かれていた。
もう一通は妻のふるさと長崎の平戸郵便局留めとなっており、考えて見れば妻のことを余り知らない自分に愕然とし、最後の
手紙を受け取ることと妻のふるさとの海を見たい思いで1200キロにも及ぶ長い旅に出ることを決意する。
「一度、その海を見ておきたいんだよ。」
「女房にとって、自分は何だったのだろう。」
そして想い出される妻の言葉「お互い気を遣って暮らしてきたんだなって…。」
物語の進行と共に倉島英二、洋子夫妻のなれ初めや晩婚だったことや刑務所から刑務所への転勤族だったことなどが徐々に明らかにされる。


病気が治ったら妻と全国をドライブしたいと作った手作りのキャンピングカーでのドライブ途中で出会う様々な人々との関わり…。
そして想い出される妻洋子との出逢いや想い出の数々…。
同じようなキャンピングカーで旅を続ける自称元国語教師の杉野(ビートたけし)は「放浪と旅の違いは、帰るところがあるかないかです。」
と言う。同じように妻を亡くし放浪を続ける杉野に対し共感を感じる倉島だが…。
旅の途中で倉島は車が故障した若者を大阪まで送ることになった。イベント会場で弁当を販売する田宮(草磲 剛)は妻に男がいることに悩み、
それを確かめる勇気もない…。そして同僚の南原(佐藤浩市)には人に言えないような暗い影があるのを倉島は密かに感じる…。


ようやく平戸に着くが台風の上陸で海は大荒れ。倉島は港近くの食堂を切り盛りする濱崎母娘(余貴美子綾瀬はるか)の好意で
嵐の夜を過ごす。「妻のことが実は判っていなかった」と言う倉島に余貴美子は「夫婦やけんて、相手のことが、全部分かりはしません」
と言う。余貴美子には数年前同じような台風で遭難し、夫を亡くした悲しい過去があった…。


台風の去ったあくる朝、町を歩いてた倉島は或る古びた写真館のウインドウに思いがけない写真に出逢う。
その古い写真に全く知らなかった妻の面影を見い出し、この地まで自分を導いてくれた妻洋子に心から「ありがとう…。」と万感を込め言う。
このセリフの独特の間(マ)は健さんしか出来ない間と抑揚が絶妙です。間は魔とも役者や噺家のあいだでは言われひとつ間違うと
とんでもないことになる。間が抜けたと言われるのはこのことであると業界では言われている)
南原(佐藤浩市)に紹介された
漁師の船で散骨するため嵐が過ぎ去った凪の海に出た倉橋は亡き妻洋子への想いを込めて遺骨を海に納める。
白いお骨はキラキラと白い輝きを見せながら深海に沈んでゆく…。
漁船の老船長(大滝秀治)は「久しぶりに、きれいな海ば見た。」と燃料代だけを受け取る。


そして倉島は帰路イベント会場で弁当を売る南原(佐藤浩市)を呼び出し、一枚の写真を手渡す。その写真には…。


倉島は南原に向かい「受刑者が密かに外部と連絡をとることを鳩を飛ばすと言います。今日、私は鳩になりました。」と言って倉島は去って行く。

倉島が平戸の郵便局で投函した塚本(長塚京三)宛の手紙にはいったい何が書いてあったのか・・・?


健さんの相変わらずの寡黙さがいい。降旗康男監督とのコンビで個人的に大好きな作品は多い。

◆止むを得ず殺した仲間の遺児の成長を密かに見守る男(現代版あしながおじさん)「冬の華」

メキシコ五輪射撃の選手として期待されながらも刑事の性で巡り会う女たちを不幸にする物語「駅 STATION」

◆大阪ミナミで人斬り夜叉と異名をとった男は足を洗って漁師に。しかし或る女が港町に現れたことで…「夜叉」

男の中の男!。久し振りの健さんに逢えた・・・。