嘘の時代劇 ③


仇討ちも時代劇では定番のエピソードですがこの仇討ちにも制約がある。卑属(目下)が
尊属(目上)の仇討ちをするのは許され藩主から仇討免許状を戴き本懐を遂げれば藩籍と
知行を保障される、それまでは跡目相続は許されず藩籍を離れ浪人として仇を探さなけれ
ばならない。従って弟の仇を兄が討つことは出来ない。二代将軍秀忠の時代に伊賀上野 
鍵屋の辻で有名な荒木又右衛門が仇討ちをする。彼は当事者ではなく妻の実家の当主渡辺
数馬(つまり義弟)の助太刀として大和郡山藩を辞して浪人として助太刀をした。
備前岡山藩主池田忠雄(ただかつ)の寵童だった数馬の弟源太夫は美童の誉れも高く参勤
交代では源太夫の美顔を見るため街道に女や娘たちの人だかりが出来るほどだったという。
太夫の同僚に河合又五郎がおり彼に懸想し、(つまり男同士の色恋沙汰)これを拒んだ
ため源太夫又五郎に殺される。数馬にとって源太夫は卑属で仇討ちが出来ないため池田
忠雄から上意討ちの許可を得て義兄の又右衛門と共に本懐を遂げるのだがこの言わばル
ール違反で幕府は岡山から鳥取への国替えの処置をした。忠雄は家康の孫にあたるが厳し
く処断され山陽道から山陰道での国替えは重いものだったと言える。

時代劇の髷(まげ=かつら)なども殆ど出鱈目で貧乏長屋の住人が鬢つけ油をつけ綺麗に
髷を結うことなどあり得ないし、入牢中の囚人までが髪油で光っているシーンなどお笑い
ものだ。ついでに髷の話だが娘は島田、人の女房になったら丸髷となり眉を剃り歯を鉄漿
(かね=おはぐろ)にするのが当時の慣わし、男でも当然武家と町方では髪型は違い八丁掘
と呼ばれた同心は町方に変装出来るよう町方と武家の中間的な独特の同心髷を結ったと言う。
町方与力、同心は一代限りの召抱えで出世もなければ転進もあり得ない。また寺社奉行
大名だから賄賂を貪り汚職をはたらき私腹を肥やす必然性がない。
こうした嘘の題材は観客や視聴者がはじめから嘘を承知で見て楽しんでいると言う前提
条件の上に成り立っているわけだが歴史ドラマを看板としたNHK大河ドラマや民放の
時代劇スペシャルまでがそうなのだから困ってしまう。たかが作り物のTV時代劇や営利
目的の映画と開き直られては困る。観客や視聴者は昔を懐かしみ、歴史上(架空の人物で
も)の人物の生き方や考え方に共鳴し、感情を揺さぶられることもあるし、知識欲を刺激
されることもあり、そう言った様々な受取り方が時代劇を支えている。そしてそれが過去
の文化を次世代に伝承してゆくプロの意地とプライドになるのだと思う。
多分最近のTV界のプロデューサー、ディレクターや映画界の監督などが殆ど若い人に変
わり当時のしきたりや習慣、常識、風俗までが希薄になりこだわりを失ってしまったのだ
ろう。更にそれを演じる役者も満足に着物も着られず、ましてや所作やしぐさなどは出来
るはずもなく、只々CGによる安易な映像作りに血道を上げているように思える。TV界、
映画界であれそれらの伝承の担い手の使命を忘れてほしくないと願う。

一部参照資料
作家 池宮彰一郎【義、我を美しく】同 隆慶一郎吉原御免状】から